Tuesday 4 March 2014

2014年やること、から2015年の新作について

1月後半から2月後半までまるまる日本にいたけれど、
インアウトは関空で、最初に向かった街は福岡だった
それから、糸島、小倉、といって、倉敷、徳島の神山町、
もっかい倉敷戻って、京都、東京に帰り、名古屋に一日旅行もした
いろんなところで作品をみたり、人にあったり、話したり、温泉入ったりしながら、
考えていた事は、最終的には自分のこれから作る作品のことだった
わたしに取って作品はいつも最後に記されるノートのようで、あったこと、起こった事のすべてが自分に反映されて、ふるわれて、夢のようにわたしを補完する
それで、2月に東京にもどってきて、今度の予定についてのスピーチがあったので、
考えていた事を原稿にまとめた
ので、それをはります


しかし、長いので、その前に近めの今後の予定はこちら
4月5月にタイ旅行を考えてる方はあわせてきたらたのしいとおもう!!!
↓↓↓
4/5 Lakhon Chatri "Chaiya-chet" 上演@バンコク、Nang Lerng
4/6~10 アーティストトーク@バンコク、speedy grandma
4/18  アントン、猫、クリ@福岡、西鉄ホール
4/20 アントン、猫、クリ@小倉、ギャラリーソープ
5/19~22 It's my turn@バンコク、人んち
5/24,25 It's my turn @バンコク
7月8月 機劇-記述されたものを出来事としておこす-@東京



こんにちは、篠田千明といいます。東京を活動拠点とした快快という劇団に2012年に所属していました。現在はバンコクを拠点としながら、ソロでの活動をしています。集団制作に重きを置いていた団体から抜けて、現在は出来事をとあるコンセプトにそって配置する、ということに注目して作品をつくっています。

今年は、2年住んでいて、ようやっとリサーチからリハーサルまですべてをバンコクで作る”It's my turn"という新作を5月の後半にバンコクで公演します。
これはもともと、何度かワークショップをやっていたNang Lerngというエリアで受け継がれてきたLakhon Chatriという芸能がいまや、その継承者が一人しかいなくなっていてそのうち消えてなくなってしまう、なんかできませんか、という依頼がありまして、そこからどうやって自分なりに土地も出自もそこにある物語も共有できないことから作品をつくれるだろうか、とそこに通って物語や形式を聞き取ったりしながらコンセプトを考えてきました。
そのなかで、今自分が”芸能”に向き合うのはとても大事なことだとも思いました。わたしはいわば、一人では作品がつくれず、演劇をはじめていろいろやっていくうちに、いつのまにかどうやら演出というのをやってるみたいだ、とあとづけてきに舞台芸術の作家になりました。作家になる、というのは多分26ぐらいに決めたと思います。でもそれが演劇であることは自分ではよくわかっていませんでした。演劇でしかものをつくれなかった、というのが理由であり、はじめた時は共犯のきもちが強かったですが、つづけていくうちに、なぜ演劇をやるのか、というのは逃れられない問いとして常にわたしの中にありました。
技術もない、演劇に対する情熱もないわたしが、でもなぜかおもしろがってやっている。そのおもしろがりのなかでも、以前いたチームのメンバーとものをつくることがとんでもなく楽しかったからというのも大きな理由でした。
そこから2012年に抜けて、いよいよわたしは演劇を愛そうとおもいました。いわゆる愛ではなく、必要があって自分の中に存在してほしかったのです。演劇がなぜあるのかという問いは正直興味が持てませんでした。だけれど、芸能ならば、それこそ演劇といって最初に自分がおもいうかべるような、役割と需要があってやっている人たち、というイメージは、まずまずとっつけるし、芸能はなぜ必要とされるのか、という問いは探す事が出来るように思ったのです。そして、リサーチのたびに聞き取りに協力してくれるコーチェー先生の人柄も大きかったです。最後の継承者の先生が生きてきたこと全てが芸能についやしていた、そしてそれはどこにも残っていかないのだろう、ということを、感傷的にでなく作品に反映したい、と思ったのです。


この作品は四月の頭にNang Lerngで受け継がれてきたままの”Chaiyachet"という演目を上演します。
上演前に2週間日本から中林舞というパフォーマーをよんでひとつの役をうけついでもらいます。そのワークインプログレスをへて、四月中にspeedygrammaとゆうギャラリーでアーティストトークと短いパフォーマンスをし、5月24、25の本番に向かいます。
本番の"It's my turn"は、まず、それを開く理由からさがします。誰の何のために上演されるのか、そのホストを決めて、途中に昼ご飯を出すのですが、そのメニューをきめていく。Lakhon Chatriでは、昼ご飯の前には神様にむけて、昼ご飯は演者も招かれた人もホストも一緒に食べて、そのあと神様は帰るので、ホストのために演目を催していた、といいます。それにならい、昼ご飯のあとはホストと相談しながらどんなことを見たいか決めていこうと思ってます。
本番にむけてのリハーサルは持ち運べるかたちのものを個人宅にでむいて上演をしてまわるかんじなので、5月中に都合があうかたは、ぜひバンコクのどこかで目撃してほしいとおもいます。


さてひとまず芸能ということを消化できたわたしが次に向かおうと決めたのは悲劇です。なぜ悲劇なのか、それはわたしがとある文章にであったことからはっきり動き始めました。テリーイーグルトンという人の言葉です。まずはそれを引用しますね。あ、抜粋です。

”悲劇が喜びを与えるのは、私たちがみんなサディスティックなクズだからとも言えるのです。
崇高の場合と同じく、悲劇が私たちに死の欲動の喜びに浸るのを許してくれるのですが、それは、代理体験を通してであって、現実には害をうけていないということを、はなからわかっているので私たちは安堵できるからです。
私の考えでは、たとえばスウィフトが『ガリヴァー旅行記』で描いた巨人国の王の観点、つまり人類というのは、人種としては、いやらしい害獣であるという観点を少なくとも受け入れる覚悟がない限り、人間のいかなる改革もする価値はない。人間はこんな風にひどい行動が出来るのだと受け入れるーつまり、そう即座に認めるのではなく、骨身に応えてそう感じたらということですがーそのときはじめて、人間が今とは異なるかたちで行動するのを見てみたいというあなたの欲望が、単なる感傷的な願望充足以上のものとなるのです。
そして最悪なものに直面する事で、よりよいものをかいま見る力が解放されるのです。”


この言葉にやけにずとーんときたのです。

バカにされるかもしれませんが、私は毎度まいど初詣のたびに、世界平和をねがいます。それはよく考えるとそれぐらいしか、神様にお願いする事がないからです。500円以上投げた事はないけど、その賽銭をなげたあとの実際ねがうまでの空白で、その前はもちろんいろんなことをおもいます、えーっと彼氏、とかえーっとお金、とかえーっと無病息災とか、でもその投げたあとに自分の頭によぎるのは、いつでも、その瞬間にきめられないとゆうのもありますが、あーっあーっあーっと、えと世界が平和でありますように、という事をいつも祈ってしまうのです。
私自身も、世界が平和ありますように、という言葉に疑いはあります、けど正直それぐらいしかおもいうかばないのです。でも具体的にはどうしたらいいんだろう、と、小さな頃から、あの世界平和でデフォルトの人が手をつないで地球をかこってる画はちっともぴんとこない、というところで、このテリーイーグルトンの言葉がずばっとはまったのです。


人はきれいなものだけでは生きられないのは純然たる事実です。なぜか?きれいなものとされているモラルというやつですら、血塗られた歴史でできているからです。それを忘れてなにいっちゃってんの、このひと、みたいな態度は、わたしは、バンコクにすんでいるものとして受け入れる事ができません。モラルは血塗られている、モラルは経済に購われている、モラルは勝ち取り纏う物だと私は、自分の感覚として思います。そこを無視しているひとは、私は申し訳ないけど、自分が無意識のうちにまとっているキャラクターを知らない振りをしている、観客にもなりきれない20世紀の遺産にしかみえないのです。年代関わらず。


知ってますか、いまって、21世紀なんですよ。ほんとなら火星とかばんばんいってますよね。
でもあいも変わらず、人はこの土地にいて、そこにいる問題を解決できない。かといって20世紀のように第三次世界大戦をおこしてどばーっと気持ちをもってくことも、とてもよい意味で出来ない。もっとよりよくなりたいけど、ヨイヒトたちの軌跡をなぞってるだけではのりこえられない。
それで、悲劇にぴーんときてギリシャ悲劇とかwikiったらふつうに贖罪者のはなしとかでてきて、一年に一回、祭りをおこしてリセットする為にホームレスがかこわれて、町のすべての罪を背負わされて追放される。でもその前は市の金で何不自由なく暮らせる、いわばプロの贖罪者が存在していたというのもぐぐったレベルで、虚実とわず、なにかぐっときました。ネットの炎上も悲劇を消費しているし、最近だと、さむらごーちとか、まさにそんなかんじで、どんな悲劇を消費したいと思うかは人次第だけれど、何かの形ではかならずあがなわれる。
貨幣や希望は上水道のようです。悲劇は下水道のようです。都市部において、上水は結果的に交通網にそって発達し、下水は土地の地形にそって発達するそうです。これ、普通のことですけど、下水道の機能としてわたしは悲劇をつくろうと思いました。完全なるフィクション前提で悲劇をかたることを、やりたい、とおもったんです。
まあそのためにはたくさん私が物語をしらなくてわいけないというのがあり、なので、今年は自分に対する千本ノックで記述された物語を具現化して、どういう下水道を悲劇として機能させようか、その実験を七月八月にホームタウンである東京でしようとおもっています。


記述された物を出来事として起こすシリーズ、その先に、結果、わたしにとって手に余るかもしれません。
でも少なくとも、物語にたいする誠実な態度で作ろうと思っています。地形をよくみること。
2015年に作る予定の悲劇、そこに興味をもっていただけたら幸いです。ありがとうございました。
2/14 Yokohama


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