Wednesday 18 December 2013

帰化ポイント

街に帰ってきたと思うポイントはそれぞれでちがうけれど、でもいくつかもっている
大体
食べ物
場所
で、
バンコクの場合は、
うちの近所の朝やってるおかゆ屋
ソイの奥にある社
セブンの前に座っているこじき
になる

人は友達ももちろん帰ってきた証拠になるんだけど
帰ってきた場所そこにいる人たちよりも、
そのまわりにいる変わらない人たちを見る方が帰ってきた感がある
コンビニのおばちゃんとか、バイタクのにーちゃんとか

社にはいったので、つぎはおかゆをきめる
こじきは最近みないらしいので少し時間がかかるかもしれない
全部がそろって血が入れ替わるように言語も切り替わったら、
ほんとうにバンコクに帰ってきたことになる


追記
こじきのおっちゃんが見当たらない
なので、人のポイントをうちの向かいに住んでいる
真っ白い髪の魔女みたいなインド人のおばあちゃんにした
夕方、おばあちゃんは2階のテラスに座って、なにかうめきはじめる
意味不明な言葉
それをうちの一階の玄関から、こそっとみて、人のポイントは完了した

と、思ったら、
帰ってしばらくしてソイの近所のひと、買った事ないソムタムやのおやじや、
たまにしか行かないレストランのおばはんに、口々に
ぱいないまー
と聞かれた
どこいってたの?と、最初は、え、セブンとか返していたが、
つまり、ここ4ヶ月ぐらいわたしはバンコクにいなかったわけで、
その間、どこにいたの?
ということだ
自分もだれかの景色になっている
日常の中のポイントになっているんだな、と実感した
あめりかー
というと、
あめりかー、あめりかー
とおばはんもおっさんもうれしそうに繰り返し
わたしはバンコクの景色の記憶に自分もはいったのだなー、と
あんかけ麺をしみじみ食べた

Wednesday 25 September 2013

アントンツアーめも1

目を開く、主観をもつ 
たちあがる、外側をみとめる 
歩き出す、 外側とかかわる
外に出る、自己をもつ 
すれ違う、 外側と自己の距離感をはかる 
駅に向かう、適切にその距離感をたもち自己を推し進める
猫にあいたちどまる、そうして、ひとつの物語にであうもしくはえらぶ

Wednesday 18 September 2013

おせんちめーとる

鐘がなっている
とおくでちかくで、警鐘でも時報でもなく

月が光り夜は澄む
空気がかわり時間が進む

世界は私を勝手に救おうとし
私は世界を勝手に裁こうとする

だからこうやって、たまにケンカをする
私は世界をセンチメンタルでおとしめる
圧倒的に美しいふりをして、さも明日も美しいそぶりを見せるから
私もそれを受け取るふりをしながら、ファンタジーにおとしめてやるのだ
ざまあみろ、勝手に救うな

そうして、私も
勝手に裁くな
と景色から言われるのだった

Thursday 5 September 2013

なにもいらない

おかしいな
なにもいらなくなってきた
こまったな

ただただアイディアだけがでまくっている
やってみたいことばかりがでてきて、その先に得たいものがない
ただ、おもしろそうだからやってみたい、それだけの欲求があふれていて
時間がない、とも思わなくなってきた
残したいとも

ただ、順番がまわってきた、という感覚で満ちていて、
なんでだか、それがわたしをやたら勇気づけている
なんだこれ
へんなの

けどこの感覚が続く限り、仕事はこなそーだな、と思うので
適度に仕事がくるぐらいは何かを欲してみようかな、と思っている

Thursday 15 August 2013

近乱視的世界観

えばってゆうことでもないけど、私は目が悪い
視力は裸眼で右が0.03、左が0.01以下で両目とも乱視が入っている
乱視は右目の方が強く、でも利き目は左目だ
つっても利き目なんて、アナログのカメラでとる時ぐらいしか、もう使わないからあれだけど、深度がぶれにくいほうの目ってことなんだろうか、定義はよくわかんない

そんなわけで、目で判断することは質感があまりなく、記号的に配置される
コンタクトいれていても、それは変わらない、ものは見ているけど見ていない 
注視するときだけが”見ている”
大きさ、何となくの色、ものが動いていれば動線は”見える”

小さい頃からそういう世界観だったので、あんまり気がつかなかったのだけど
そしてみながそうだってわけじゃないだろうけど、自分は言葉も近乱視的に使っている
言葉、言語、というのはどこにピントが合ってるってはなしなのか、
英語を使い始めてからようやっと、あ、そういうことなのねー、とわかってきたこともたくさんある
ハイカロリーな言葉のほとんどは、英語に直すときにもう一段階自分の中でちゃんと目盛りが出来ると、うまく消化できたりする
翻訳家はこの運動を楽しんでいる生き物なのかな、と、せばを思ったり

タイ語と日本語で共通するのは、口語でほとんど主語がでてこないってことで
英語で話す時もお互い雰囲気勝負なかんじで、わたしにとってはタイ語をしゃべるのもそんなノリがかわんない
英語文化圏のひとでタイ語をしゃべる友達は、一人称を自分の名前で言いがちな気がする
トムは川に行った、とか、クリスティーナはごはんを食べた、とか、
なかなかかわいい

遠くのものはよく見えない方が落ち着く
未来もそうだ
だから私を占おうとしないで
言葉が与えられてしまうとピントがあってしまう
ピントがあって見えたらむかってしまう
だから私を試さないで
そのまま今、目の前にいて起きていることがすべてだと、この世界観を受け入れて

バランス感覚の悪さは長所でもあるのだ

Monday 22 July 2013

PP is coming to TKO



The PARTY party -berlin version-

DATE: 8/1 (thu) 8/2(fri)
OPEN: 20:00
FEE: 1500 yen (include one bowl of OKAYU)
venue: snac@KIYOSUMI-SHIRAKAWA


予約&詳細 book & details

Monday 24 June 2013

足の指グリッチ

右足の親指の爪に水虫を飼っている
まあ、ほおっといてるんだけど、
これがけっこう見てるとおもしろい
菌は代謝より早く繁殖するらしく、
爪をほとんどはがしたような状態から、
(もはや全然いたくない)
一般的な爪の大きさくらいまでけっこういいペースで修復される
このお城が完成した頃に、爪切りでまた更地に戻すのが楽しい
でこぼこにきるとまたちがう伸び方になる
自分の一部にちがう時間の流れ方のあとを見て喜んでいる

で、これをポルトガル人の友達に説明したくて、
足の爪に小さい虫がいて、ってゆったら、
向こうがえ???てなった
ウイルス、と言い換えても伝わんなかったので、
もしかして水虫はポルトガルではあんまりメジャーな病気じゃないのか?!
乾いてるんだなー、ほんとに、と変な事で実感した