Tuesday 3 November 2015

非劇とI

言葉と劇の関係を役割にあわせて端的にいうと、
言葉を、作家は結び、演出家はほどく、
結ばれたものをまさにいま解いてるのを、みせているもの、それが劇である
作家は場所に選ばれる、複数である事も人ではない場合もある
ことのはじめにある言葉が場をつくる、それにたちあう状況に劇は働く

場に生まれる結び目は、その場を信頼するかどうかためらい
ためらう時間分、虚構を必要とする

似たようなもので呪い、というのもあるが呪いはもっとしたたかだ
本人は呪いが解けるまでかかっていた事に気がつかない
熱のようだ、と、友人が言ったけれど、ほんとにそうだ
名前で、季節で、状況で、説明のしようのない必然という言葉で、呪いはかかってしまう
かけるほうも、そんなつもりじゃなかったことのほうが、呪いの大半だろう
相手に忘れられるからこそ、より純粋に自己の指針として呪いが無自覚に作用するのだ

愛は結び目を解く、しかし同時に悲劇の可能性を産む
結び目は、結ばれるだけの力があり、形がない故に力の収めどころを知らない
ほどくと小さな声をあげはじめ、それが次々に無数の声になり轟く
そのまま残響になり消えていく事もあれば、また違う結び目となる依りましをさがす事もある
愛の介在なしに結び目を解く事ができたら、それは時間が解決した、という古典的な言い回しになるだろう

時間が解決するのをまてない、せっかちな演出家がここにいて、地雷をふみぬく
ばーん!

音を立てて、劇は消えた