Tuesday 5 February 2013

うーんうーんとゆっくりの回転だけどとまらない

ノートに書くのとはまた違う感覚でログをのこす

☆なぜきーち(コザクラインコ)は私の事を長く覚えてられるのか

かんちゃん(オカメインコ)が死んだとき、きーちはひとりで小屋にはいって寝るのをいやがった
小屋のドアのところにとまって、ドアをあけっぱなしにして寝ていた
うめちゃん(女の子のコザクラインコ)が来るまで
きーちは起きてる時間はほとんど人間にべったりになって肩にずっととまっていた
そして、うめちゃんがきてから、きーちはぐっと老けた
書類をわざとかじって嫌がらせをしたり全然しなくなった
きーちはもともと、そんなに自己主張がなく、かんちゃんとの関係性において主張していただけだったのだ
と思うのも、いつでもかんちゃんが何かをやってるのをみて、それを横取りしてかじりまくる、という遊び方だったから
で、うめちゃんはもう、害虫のレベルでかじりまくるんだけど、かんちゃんはきーちに横取りされたら、しかたがない、、というように、少し取り返すそぶりを見せるけど結局はきーちが飽きるまでそのまま放置していたけど、うめちゃんは絶対自分の獲物はわたさないので、きーちはハナから横取りする気がない
うめちゃんは、壁紙やら書類やらティッシュの紙箱をかじっては、羽にさしたり巣にしたり、前の二匹と違って目的がある
そしてうめちゃんはわたしのことを覚えてくれない

☆実際さむいけどそんなに寒くない現実

感覚的にだけど、20℃以上の差がある寒いところから暑いところにジャンプすると、
大体三日間ぐらい内側から調子が悪くなる
暑いところから寒いところへのジャンプは外側から調子が悪くなる、たとえばのどが痛くなったり、くしゃみがでたり、気温というよりも環境から、という感じ
なので体調的には案外平気

☆誰に会いにきてほしいか

言葉は外に出された瞬間に確定するのではなく、外にだしてみて初めてその態度を決める
考えていることを人と話すと、だんだんと調理されていって、
お皿にのったうまそうなご飯になるぐらいになったら、これはまったくの他人も食べられる
ちゃんとしたことに限らず、
とゆうか
くだらない、人に取っては取るに足らないけど、自分的には発見があったことほど、
どうにかして他人に伝えないと消化不良をおこしてしまう
「回収」とゆう言葉は快快で集団制作してた時によく出てきた言葉だけど
それにちかいかな
でもなんだろうか、他人が食べられるものを作りたい、という気がうすいのか
でも、自分一人でもうまいものを作る時には必ず「今度誰かにまた作ろう」て思う
最悪なのは、とにかくハラが減っててなんか食わないとヤバい状態で作るご飯は
これは95%の確率ですっごくまずいものができる
5%はインスタントラーメンを作った場合のみ
フリースタイルで自分の欲望に忠実に作るとまずいものしか出来ない
とわいえ、食べるのも自分だしお腹も膨らむのでそれもありだけど
でもまっず〜〜〜と思いながらそのモンスター、心の中でハラ減った時に作って出来た死ぬほどまずいご飯の事をこうよんでる、を消化する時間をすごす

誰に見せたいのか、という答えは自分の中にある
10年前の自分に見せたい
でも今の自分にはそのひとだけじゃだめなんだと思う
もすこしなれたらいけるかもだけど今はだめ

Friday 1 February 2013

長年の宿題

10年以上も前のことだけど、そもそも舞台を作ろうと思ったきっかけは、
『気配』は何から出来てるのか、そして再現できるのか、という事だった

その当時、能の三番叟というのをみて、ものすごく怖かった、し、
すべての瞬間のテンションが違った

あの時に感じたことは、最近、実際に見ていたパフォーマンスよりも
その舞を成立させている条件の方に驚いてたんじゃないか、と
なにかが成立するかしないかの瞬間に気配はあらわれて、
成立した後もその次にまた違うなにかが成立するかしないかの時にまた呼び戻される

この10年間、いろんな舞台を作る中で舞台の遊び方を知って、
それでようやく、扱えるような気がしてる
公園を作るかんじ
どーいう空間になるか全然わからないけどたのしみ