Monday 28 January 2013

呪いと名前

世の中には様々な呪いがあるが、名前をつけるのがとりあえずきっと手っ取り早い。
名前をつける、つまり言葉にする、ということだけど。
占いは、言葉にしないように言葉にするもの、という認識。

バンコクで一緒に住んでるnoyzって女の子は、年始に実家帰った時に占いに行って、
その占いもすごかったらしいんだけど、結局その占いで確約されたラッキーのために、
占い師から教えてもらったパイナップルの配置をする儀式をしに、
わざわざその後また実家にもどって、屋根の下にパイナップルを置いてきてた。
言葉にしないようにしたものは、言葉じゃないやり方で補完しておく、
ということなのかな。
何もやらないよりはやったほうがいい、
てことかもしれない。
それでやるんなら徹底的にってことで、けっこうそのパイナップルの置き方は細かかった。午後三時のどっかの方角の屋根の影を底辺として、なんか図形を描くように置いていく。
noyzは置き方間違えて3回やりなおしたってゆーから、まあどーだか。

名前をつける、といえば、タイでは本名の他にもう一つの名前があって、
たいてい名乗る時はこのあだ名を名乗る。
最初に親からもらって、それをずっと使う人もいれば、途中で変更可能なので、いくつか呼び名がある人もいて、極端だと集団ごとに名前がちがう人もいる。
いわく、顔と名前はおぼえてなくても、いつの友達だったかその呼び名でわかるから便利らしい。
noyzの両親からもらったあだ名は、”M-150"


日本でいったら、『リポビタンD』


最近noyzはこの自分の古い名前を気に入りなおしていて、
次の恋人にはこう呼ばせる♪とゆってる




Friday 11 January 2013

あけましておめでとう

去年の抱負が「携帯電話をなくさない」
で、結局なくしたりこわしたりはしたものの、1年間に2度しか変わんなかったのは
快挙なので、なるほど、抱負というのは具体的だと役に立つものなんだ、
と実感したので今年もやってみる
今年はとにかくよく見る事をしたい
と、これだけでは具体的でないので具体的になるまで抱負ってみる

見る
ひらたいものはぐっとよって表面の質感を
ごつごつしてるものはさっと引いて外との境界面を
自分が動くことで変わるものと変わらないものを善し悪しでなく
そこにいる個人の3世代前の世界を

とことん自分の内面には期待してない
意思があんまりない
決断しかできない
去年はたくさん決断した
そのうえで起きた事をすべて無視しないためには時間がかかることがわかった

様々な事柄が場所を超えて同時に共有できる、と言われている
とても疑っている
情報を共有できるのは理解できる
でも共有できる情報の性質は実はとてもかぎられている
共有できることよりも共有できないもののことのほうにひっかかっていて、
それは、わたしにとっては場所は土地ではない、という感覚と結びついている
このひっかかりのほぐすためにはまだいくつか作品を作んないとわからない

わかんないものがあるのは楽しいな
いつかわかるために動けるから理由が出来るし
ある一点を超えてはまり始めていく瞬間は快楽としかいいようがない

ただ、いまわかろうとしてることは、そう簡単にははまらない
こつこつ、まずはちいさいピースをパーツにする作業
そのパーツがどのくらいそろえばいいのか、もまだわからない
だからより楽しみ

よりとっちらかって抽象的になってしまった

うーん、じゃあ、「今年は無口になる」にするか
あ、「パソコンこわさない」にしようかな
あ、「おおけがしない」とか、うーん
具体的な抱負は思いつくのが難しいからこそ、しっくりきたときに有効なんだろう
しっくりくるまでとりあえずおいとく