Saturday, 30 November 2013
Thursday, 28 November 2013
Wednesday, 25 September 2013
アントンツアーめも1
目を開く、主観をもつ
たちあがる、外側をみとめる
歩き出す、 外側とかかわる
外に出る、自己をもつ
すれ違う、 外側と自己の距離感をはかる
駅に向かう、適切にその距離感をたもち自己を推し進める
猫にあいたちどまる、そうして、ひとつの物語にであうもしくはえらぶ
たちあがる、外側をみとめる
歩き出す、 外側とかかわる
外に出る、自己をもつ
すれ違う、 外側と自己の距離感をはかる
駅に向かう、適切にその距離感をたもち自己を推し進める
猫にあいたちどまる、そうして、ひとつの物語にであうもしくはえらぶ
Wednesday, 18 September 2013
おせんちめーとる
鐘がなっている
とおくでちかくで、警鐘でも時報でもなく
月が光り夜は澄む
空気がかわり時間が進む
世界は私を勝手に救おうとし
私は世界を勝手に裁こうとする
だからこうやって、たまにケンカをする
私は世界をセンチメンタルでおとしめる
圧倒的に美しいふりをして、さも明日も美しいそぶりを見せるから
私もそれを受け取るふりをしながら、ファンタジーにおとしめてやるのだ
ざまあみろ、勝手に救うな
そうして、私も
勝手に裁くな
と景色から言われるのだった
Thursday, 5 September 2013
なにもいらない
おかしいな
なにもいらなくなってきた
こまったな
ただただアイディアだけがでまくっている
やってみたいことばかりがでてきて、その先に得たいものがない
ただ、おもしろそうだからやってみたい、それだけの欲求があふれていて
時間がない、とも思わなくなってきた
残したいとも
ただ、順番がまわってきた、という感覚で満ちていて、
なんでだか、それがわたしをやたら勇気づけている
なんだこれ
へんなの
けどこの感覚が続く限り、仕事はこなそーだな、と思うので
適度に仕事がくるぐらいは何かを欲してみようかな、と思っている
なにもいらなくなってきた
こまったな
ただただアイディアだけがでまくっている
やってみたいことばかりがでてきて、その先に得たいものがない
ただ、おもしろそうだからやってみたい、それだけの欲求があふれていて
時間がない、とも思わなくなってきた
残したいとも
ただ、順番がまわってきた、という感覚で満ちていて、
なんでだか、それがわたしをやたら勇気づけている
なんだこれ
へんなの
けどこの感覚が続く限り、仕事はこなそーだな、と思うので
適度に仕事がくるぐらいは何かを欲してみようかな、と思っている
Thursday, 15 August 2013
近乱視的世界観
えばってゆうことでもないけど、私は目が悪い
視力は裸眼で右が0.03、左が0.01以下で両目とも乱視が入っている
乱視は右目の方が強く、でも利き目は左目だ
つっても利き目なんて、アナログのカメラでとる時ぐらいしか、もう使わないからあれだけど、深度がぶれにくいほうの目ってことなんだろうか、定義はよくわかんない
そんなわけで、目で判断することは質感があまりなく、記号的に配置される
コンタクトいれていても、それは変わらない、ものは見ているけど見ていない
注視するときだけが”見ている”
大きさ、何となくの色、ものが動いていれば動線は”見える”
小さい頃からそういう世界観だったので、あんまり気がつかなかったのだけど
そしてみながそうだってわけじゃないだろうけど、自分は言葉も近乱視的に使っている
言葉、言語、というのはどこにピントが合ってるってはなしなのか、
英語を使い始めてからようやっと、あ、そういうことなのねー、とわかってきたこともたくさんある
ハイカロリーな言葉のほとんどは、英語に直すときにもう一段階自分の中でちゃんと目盛りが出来ると、うまく消化できたりする
翻訳家はこの運動を楽しんでいる生き物なのかな、と、せばを思ったり
タイ語と日本語で共通するのは、口語でほとんど主語がでてこないってことで
英語で話す時もお互い雰囲気勝負なかんじで、わたしにとってはタイ語をしゃべるのもそんなノリがかわんない
英語文化圏のひとでタイ語をしゃべる友達は、一人称を自分の名前で言いがちな気がする
トムは川に行った、とか、クリスティーナはごはんを食べた、とか、
なかなかかわいい
遠くのものはよく見えない方が落ち着く
未来もそうだ
だから私を占おうとしないで
言葉が与えられてしまうとピントがあってしまう
ピントがあって見えたらむかってしまう
だから私を試さないで
そのまま今、目の前にいて起きていることがすべてだと、この世界観を受け入れて
バランス感覚の悪さは長所でもあるのだ
視力は裸眼で右が0.03、左が0.01以下で両目とも乱視が入っている
乱視は右目の方が強く、でも利き目は左目だ
つっても利き目なんて、アナログのカメラでとる時ぐらいしか、もう使わないからあれだけど、深度がぶれにくいほうの目ってことなんだろうか、定義はよくわかんない
そんなわけで、目で判断することは質感があまりなく、記号的に配置される
コンタクトいれていても、それは変わらない、ものは見ているけど見ていない
注視するときだけが”見ている”
大きさ、何となくの色、ものが動いていれば動線は”見える”
小さい頃からそういう世界観だったので、あんまり気がつかなかったのだけど
そしてみながそうだってわけじゃないだろうけど、自分は言葉も近乱視的に使っている
言葉、言語、というのはどこにピントが合ってるってはなしなのか、
英語を使い始めてからようやっと、あ、そういうことなのねー、とわかってきたこともたくさんある
ハイカロリーな言葉のほとんどは、英語に直すときにもう一段階自分の中でちゃんと目盛りが出来ると、うまく消化できたりする
翻訳家はこの運動を楽しんでいる生き物なのかな、と、せばを思ったり
タイ語と日本語で共通するのは、口語でほとんど主語がでてこないってことで
英語で話す時もお互い雰囲気勝負なかんじで、わたしにとってはタイ語をしゃべるのもそんなノリがかわんない
英語文化圏のひとでタイ語をしゃべる友達は、一人称を自分の名前で言いがちな気がする
トムは川に行った、とか、クリスティーナはごはんを食べた、とか、
なかなかかわいい
遠くのものはよく見えない方が落ち着く
未来もそうだ
だから私を占おうとしないで
言葉が与えられてしまうとピントがあってしまう
ピントがあって見えたらむかってしまう
だから私を試さないで
そのまま今、目の前にいて起きていることがすべてだと、この世界観を受け入れて
バランス感覚の悪さは長所でもあるのだ
Monday, 22 July 2013
PP is coming to TKO
The PARTY party -berlin version-
DATE: 8/1 (thu) 8/2(fri)
OPEN: 20:00
FEE: 1500 yen (include one bowl of OKAYU)
venue: snac@KIYOSUMI-SHIRAKAWA
予約&詳細 book & details
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